本文へ

このウェブサイトではサイトの利便性の向上を目的にクッキーを使用します。ブラウザの設定によりクッキーの機能を変更することもできます。詳細はサイトポリシーをご覧ください。サイトを閲覧いただく際には、クッキーの使用に同意いただく必要があります。

Bookmark_JF

早くて速いベトナムで
九段理江

『東京都同情塔』で第170回芥川賞を受賞された九段理江さん。受賞作に生成AIの文章を一部に使用したことでも大きな注目を集めました。

2025年11月、『東京都同情塔』のベトナム語版の翻訳出版を記念し、ハノイ、ホーチミンの2都市を訪れ、出版記念イベントや同世代のベトナムのアーティストとの対談に登壇しました。

「作家になる前、気ままにベトナム旅行を楽しんでいた」という九段さんは、今回が3度目の訪越。今回のベトナム訪問を振り返って感じられたことを九段さんにご寄稿いただきました。

本エッセイの英訳は、英語版『東京都同情塔』の翻訳者、ジェシー・カークウッドさんによるものです。(英訳は4月掲載予定)

 

九段理江さん出版記念イベントの詳細はこちらから。

イベントでの九段理江さん

早くて速いベトナムで

ベトナムの朝は早い。

まだ空が白みきらない時間から、通りではバイクの走行音やクラクション、工事の音が、けたたましく鳴り始める。街が目覚めると、なんだか自分も早くその一部にならなくてはと心が逸る。そうして、バイクがひっきりなしに流れる中へおそるおそる繰り出し、屋台のフォーの出汁の匂いに誘われるまま朝ごはんを注文する。香りの強いハーブと麺をすすっているうちに、体もすっかり目覚めて、睡眠不足なんてすっかり忘れてしまう。ベトナム滞在中だけ、私はいつもより少しだけ健康的で活動的な、朝型人間になっている。五年前も、十年前もそうだった。けれど三度目の訪越となる今回は様子が違った。滞在したホテル「Signature by M village」は大通りから外れた場所に位置し、騒音はほとんどない。静かな部屋のベッドの中でまどろみながら耳をすますと、かすかにリズミカルな屋台のアナウンスが窓越しに聞こえてきた。日本でいう「石焼き芋~♪」のバインミー版だ。

熟睡したおかげで前日のフライトの疲れもなく、ホテル近くのホアンキエム湖を散歩する。観光客は多少増えたのかもしれないが、前に訪れた時の印象とさほど変わらない光景を見て安心した。湖を見つめながら太極拳に没頭する人、スピーカーで音楽を流してダンスをするグループ、ベトナムの伝統衣装を身にまとい写真を撮る若者たちが、空気の澄んだ湖畔を取り囲んでいる。思い思いに朝を楽しむ人々と、穏やかな朝日の反射するきらめく水面を眺め歩いていると、午後から入っている仕事のことを忘れそうになる。

 

今回の訪越の機会をいただいたのは、自著の『東京都同情塔』がベトナム語版に翻訳されたことがきっかけだが、ホアンキエム湖の光景は作中の塔の中のイメージそのものである。実際の小説ではほとんど描写しなかったけれど、何の苦痛もない、安全で幸福な暮らしが約束されたタワーの住人たちを再び書く機会があれば、ホアンキエム湖に集う人々をモデルにするだろう――そんなことを考えながら、楽園のような景色をスマートフォンの動画におさめていく。ホテルに戻る途中、さすがにまだ閉まっているかなと思いつつ立ち寄ったベトナム女性博物館は、朝の八時からしっかり開館していた。

湖のほとりにいる若者たちの画像

早朝、ホアンキエム湖のほとりで写真を撮る若者たち

 

午後、JF(国際交流基金)の大須賀さんと合流する前に、スーツケースに入れてきたアオザイに着替える。ベトナム国花の蓮があしらわれたアオザイで、十年前のベトナム旅行でオーダーメイドしたものだ。いつか自分が作家になるなんて夢にも思っていない時代につくったから、白地にピンクのデザインは今の自分が着るにはフレッシュすぎる。とはいえ、時を経てこんなふうに日の目を見る機会を得るとは不思議だ。作家になる前、気ままにベトナム旅行を楽しんでいた自分と、作家になった後に自著の翻訳版を携えてこの地に立っている自分とが、アオザイを通してフィクションのようにパラレルに交差していく。

 

ベトナム最初の出版記念イベントは、ベトナム語版の版元である「San Ho Books」の入るビルで行なわれた。陽の光がたっぷり取り込まれた開放的な建物に着いてまず、鳥籠に囚われた女性の巨大パネルが目に入る。これはベトナム語版の装丁のために描かれたオリジナルのイラストで、小説の主人公が本から飛び出てきたかのようだった。自著のイベントのために入念な準備をして盛り上げてくださることが、心からありがたい(巨大すぎてパネルを持ち帰れなかったのを今も後悔している)。トークイベントでは、文学評論家でありレイモンド・カーヴァーの翻訳なども手掛けるクエン・グエンさんがモデレーターを務めてくださり、通訳のズンさんを介し、作品について網羅的な話をした。

 

「ホーチミンと比べてハノイの人は少しシャイかも(東京と大阪の人の違いみたいに)」と事前に聞いていたものの、来場者の皆さんは熱心にトークに耳を傾けてくれ、質問の手も多く上がる。

「なぜ刑務所の話を書こうと思ったのか」との質問を受け、そういえば、と十年前に訪れたホアロー刑務所のことをふと思い出した。植民地時代にフランス人によって建設された刑務所で、ベトナム人政治犯などを収容し、またベトナム戦争中には米国軍の捕虜に使用された施設だ。現在はハノイの観光名所となっていて、仄暗い収容所に、鎖でつながれた囚人の等身大人形がずらりと並べられた空間が今も忘れられない――と思い出を語る。その時は何気なく目にしていたものが、時間が経ってから思いもよらぬ形で小説に作用しているのだと、話しながら感慨深くなった。

 

大須賀さんによると、日本から作家を公式に招聘するのはオンラインを除いては八年ぶりだという(前回は小野正嗣さん)。日本文学では村上春樹作品の人気が特に高く、交流会やメディア取材でも頻繁にその名前が話題に出た。映画『ノルウェイの森』の監督を務めたのがベトナム出身のトラン・アン・ユン氏であることも影響しているのかもしれない。ハノイでタフな通訳を務めてくださったズンさんもまた、多くの日本文学の翻訳を手掛けられていて、『街とその不確かな壁』も訳されている。また、影響を受けた作家として三島由紀夫についてたびたび言及したが、『豊穣の海』シリーズが最近訳され始めているとのことで、三島の知名度も高かった。日本文学を学ぶ学生との交流会では、芥川龍之介や太宰治、現代文学では東野圭吾の名前が挙がった。日本語にはない複雑な母音やイントネーションを持つベトナム語の中に、「アクタガワ」「ムラカミ」と不意に日本語を聞き取ると、なんとなくうれしくなる。

トークイベントでの九段理江さんの画像

「San Ho Books」でのトークイベント

イベントへの参加者の画像

トークイベントへの参加者

サイン会での九段理江さんの画像

トーク後のサイン会

二日目は朝からハノイ文化大学で交流会。この交流会では、国内で知らぬ人はいない文学批評の大家であるファム・スアン・グエン先生が司会を務められ、文学・ジャーナリズム学部所属の作家や学生、また著名なAI研究者も集まり、休憩なしで三時間を超える熱量のあるディスカッションとなった。一日目の朝はゆっくり散歩する時間があったけれど、この日の集合はやはり早かった。滞在中は、他に人文社会科学大学のハノイ校とホーチミン校、合計三つの大学を訪問したが、いずれも一限目の時間から交流会がセッティングされていて、

「朝早くからお集まりくださりありがとうございます……でも皆さんにとってはこれが通常なんですよね」という間抜けな挨拶がすっかり定着していた。

 

それから、早いのは朝だけではなく、メディアに記事が出る速さにも驚かされていた。イベントを行なった翌日には、写真とともに長めのインタビュー記事やレポート記事がニュースサイトに掲載されていた。「ベトナムの方はメールのレスポンスも速いと感じます」と大須賀さんがおっしゃっていて、早起きの習慣と仕事のスピードは絶対に関連性があるはずだと、根拠なく確信する。だからといって、せかせかと落ち着きがないというのではなく、早起きであるがゆえの時間と心のゆとりを端々に感じる。

 

夜は同世代のアーティスト、マイク・カイさんと対談イベント。現実世界と空想世界の関係について議論を交わし、充実した夜を過ごす。『毛の博物館』と題する小説を執筆されたとのことで、体毛や脱毛の話で盛り上がった。また『東京都同情塔』で重要なテーマとなっている言葉の置き換えに関連して、「ベトナム語になっている日本語はありますか?」と質問すると、

「Ô-sin(オーシン)」と教えてくれ、会場がわっと沸いた。八十年代に一世を風靡した朝ドラ『おしん』が、ベトナムでは家政婦を意味する語になっているのだそうだ。世代もキャリアも近いアーティストと話をすると多くの刺激を受ける。いつの日かまたお互いの作品について話し合いたいという思いが、創作に向かう強力なモチベーションになってくれる。

四泊したハノイからホーチミンへ移動。

今回スポンサーになってくれたタオディエン地区のアマナキホテルが素晴らしく、丸二日間の自由時間のほとんどを部屋の中で過ごし、新聞連載中の原稿のいくつかを仕上げる。在ベトナム日本大使館での昼食会や、技能実習生として来日する人のためのハノイの送り出し機関の視察について、余韻が抜けないうちに早速エッセイに書き留めた。わりと子供の頃から、ホテルで書き物をするのが何よりも好きな時間だ。執筆の合間、蓮茶を飲みながらランドマーク81をおさめる眺望を楽しみ、こんな日々がいつまでも続けばよい、と心底願う。パラレルワールドの私は、今もアマナキホテルの一室で優雅に原稿を書く日々を過ごしていて、東京郊外で不規則な生活を送る私と、たびたび心の交信をしている。

 

ベトナム最後の締めくくりは、日本領事館で出版記念のトークイベント。文学研究者のダオ・レ・ナさんがモデレーターを務めてくださった。質疑応答の時間を長めにとっていただき、来場者の皆さんとも会話が弾み、残りわずかとなった滞在を惜しみつつ、熱心に話を聞いてくださる皆さんのあたたかさを噛みしめていた。

「芸術で身を立てていくにはどうしたらいいか」

「作家志望だが最後まで作品を書き上げられない、完成させるコツはあるか」

と問われ、「書きかけの小説が積みあがっていくのは、無駄なことではない」と自分に言い聞かせるようにお答えした。作家志望だった過去の自分自身を思い出しつつ、十年前にホアロー刑務所で見た不気味な人形と、刑務所建築の背後にあるベトナムの暗い歴史が、再び記憶を揺さぶった。最後に来場者の方々が笑顔で私を囲んで撮ってくれた写真は、この旅いちばんの得難いお土産になった。

交流会での九段理江さんとファム・スアン・グエン先生の画像

ハノイ文化大学での交流会
ファム・スアン・グエン先生と

イベントの画像

在ホーチミン日本国総領事館での
トークイベント

イベント参加者達との画像

在ホーチミン日本国総領事館での
トークイベント参加者たちと

ところで、日本でも他の国でも、AIに関する議論はどこへ行っても盛り上がる鉄板ネタだが、ベトナムでももちろん例外ではなかった。滞在中、テレビをつけると常にAIについてのニュースが流れているような状況で、その関心の高さと、AIが国を豊かにしていくのだという、ポジティブな熱量のようなものを強く感じた。これは私の勝手な印象ではなく、大学の交流会に参加された方が、「ベトナムでは国を挙げてAIを盛り上げようとしている」、「米国シリコンバレーに勤めるAIエンジニアの何割(正確な数字を忘れてしまった)はベトナム人だ」と、誇らしげに話してくれた。

 

私が芥川賞を受賞した際にも、執筆プロセスにAIを活用したことがベトナム語の記事でいち早く(これもやはり他国に比べ早かった)大きく扱われているのを何度も見た。二年ほど前、私の記者会見での発言が各国で報道されてしまった当時は思いがけない展開に頭を抱えていたのだが、良くも悪くも世界共通の関心を集めるトピックの渦中にいることによって、本来なら出会えなかった人々に出会うことができたのは紛れもない恩恵だった。AIは、しばしば身体性のある人間の対極の存在として位置づけて語られる。しかし私にとっては逆説的に、自分の体を物理的に遠くへ移動させ、また人工知能というトピックを媒介に豊かな交流をもたらす存在となっている。それはあまりに幸運な出来事だった。当初は疎ましく感じていた「AI小説家」のレッテルさえ、今では愛着にも近い感情を抱いている。どんなレッテルを貼られるにせよ、世間を騒がせ誰かに嫌われるにせよ、すべては自分の書いた物語と言葉が招いたことだ。そのことだけは誇りに思う。

2025年は、35年の人生の中で最も移動距離の長い一年として深く心に刻まれる年となった。2月に台湾、5月にイタリア、7月に香港でプロモーションを行ない、ハノイとホーチミンの二都市をもって、多くの方々のご協力により自著の言語をばらばらにする「バベルの塔」の一年が終わった。年末、ホーチミンのホテル近くの店で採寸をしてつくってもらった三着目のアオザイを、宅急便で受け取った。新しいアオザイに袖を通し、ベトナムの皆さんやパラレルワールドの自分といつか再会する日のために、また粘り強く書き続けたい。何事も早く速く進んでいく、かの国のエネルギッシュなスピードに大きく突き放されぬよう、必死で。

あわせて読みたい