日本現代文学の作家と翻訳家たちのいるところ
JF(国際交流基金)では、2025年11月、インドネシア、タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマーの5か国から、日本文学の翻訳家5名・編集者4名を招へいしました。
招へい事業についてはこちらから。
2025年11月25日(火)には、早稲田大学教授の由尾瞳さんの協力のもと、作家・松田青子さんを迎え、松田さんの作品『おばちゃんたちのいるところ』を翻訳した経験を持つ翻訳家3名との座談会を行いました。
登壇者は、タイの翻訳家ゲーワリン・リキットウィッタヤーウット(通称ミーン)さん、インドネシアの翻訳家アスリ プラティウィ・ウランダリ(通称ウラン)さん、そして偶然にも同時期にブラジルから早稲田大学国際文学館レジデンシーに参加されていたヒタ・コールさんです。座談会のモデレーターは由尾さんが務め、早稲田大学国際日本学コース(Global-J)の大学院生の皆さんも参加しました。
会場では日本語を含めて4言語で松田さんの作品が朗読され、参加者からの質疑応答や意見交換も活発に行われました。3名の翻訳家は松田さんの作品をいかにそれぞれの言語に翻訳し、松田さんはそれをどのように受け止めているかについて、座談会で交わされたやりとりをレポートします。
早稲田大学にて
由尾:
今日は作家の松田青子さんと、松田さんの作品を翻訳されているタイ語、インドネシア語、ポルトガル語の翻訳家3名の座談会という、なかなかない機会にお集まりいただきありがとうございます。ミーンさんは松田さんの『おばちゃんたちのいるところ』(以下『おばちゃんたち』)をはじめ、村田沙耶香、東野圭吾、川村元気、原田マハなどの作品をタイ語に翻訳されています。インドネシアの翻訳家ウランさんは『おばちゃんたち』のほか、今村夏子、川上未映子、また田村俊子など20世紀初頭の女性作家の作品を訳されて、2021年にはご自身の短編集も出されました。最後にヒタ・コールさんはブラジルの翻訳家で、いまは早稲田大学国際文学館のトランスレーター・イン・レジデンスで1ヶ月日本に滞在されています。村上春樹、小川洋子、村田沙耶香、鈴木いづみ、津島佑子、最近では川上未映子著『黄色い家』をポルトガル語に訳されました。3名とも、それぞれの国で現代日本文学の翻訳をリードされている若手翻訳家です。はじめに、皆さんに、松田青子さんの文学との出会いや、その魅力について、ご自身の国の事情も合わせてお話いただけますか。

早稲田大学にて
松田青子さんの世界観との出会い
ミーン:
松田さんの作品との出会いは、タイで新しく立ち上がったフェミニスト系の出版社Eka Publishingが『おばちゃんたち』をぜひタイ語で出版したいと考え、私のSNSを見て連絡をくれたことがきっかけでした。もともと、私は日本のエンタメ業界における女性の事情や、女性に関する記事を書いていました。実際に作品を読んで、すぐにやりますとお返事しました。テンポがよくて読みやすい、皮肉も効いていて読み始めると止まらない作品だと感じました。幽霊やミステリーの要素もあって、「これは絶対に売れる」と思いました。タイの読者はホラーが好きで、幽霊の物語が多く、女性の幽霊もよく登場します。『おばちゃんたち』のタイ語版が出版されると、「これはタイと同じだ」という感想を多くいただきましたし、タイだけでなく、ミャンマーやマレーシアなど周辺地域とも感覚が近い、という声もありました。
松田:
タイにフェミニスト系の出版社ができて、1冊目に『おばちゃんたち』を出したい、もちろん女性の翻訳家でというお話があり、ミーンさんと出会うことができました。本が出版された後に国際交流基金の事業でタイに招聘していただき、トークイベントを行った第51回ナショナルブックフェア&第21回バンコク国際ブックフェア(2023年4月開催)でミーンさんにお会いしました。実はタイへ渡航する前からミーンさんに連絡を取り、タイで有名な女性の幽霊にまつわる場所に連れて行ってほしいとお願いしていました。
ミーン:
タイには、メー・ナーク・プラカノンという、『四谷怪談』の「お岩さん」のようなストーリーがあります。妊娠している女性がいて、夫が戦争に行ってしまい一人で暮らしています。出産の際に母子ともに亡くなってしまいますが、戦争から帰ってきた夫は、妻子が死んでいることがわからないまま、妻子と一緒に暮らし続けているという話です。結末には諸説ありますが、やがて夫は現実を知ることとなり、亡くなった妻子もお坊さんに弔われて成仏するとされています。

ミーンさん

松田さん(左)とミーンさん(右)
松田:
日本の怪談や昔話にも、異形の存在と一緒に暮らし、当人たちは幸せという話がたくさんあります。メー・ナークを祀っているお寺に連れて行ってもらいましたが、とても陽気な雰囲気なんです。赤ちゃんを抱えたメー・ナークの像の周りには花とかおもちゃとかカラフルなものが所狭しと並べられている様が本当に素晴らしくて、とてもいい思い出になりました。また、タイでも唯一の、五十二体の女性の修行僧の像があるお寺にも連れて行ってもらいました。
ウラン:
私が松田さんの作品と出会ったのは、エッセイ集『ロマンティックあげない』でした。出版社から『おばちゃんたち』の翻訳を依頼されたときは、「イエス」ではなく、「他の方に依頼されたら恨みます」と答えたほどです。それほど翻訳したいと思っていた作品でした。
当時はフェミニズムを学んでおり、女性の幽霊についても考えていました。インドネシアにも幽霊はいて、たとえば出産で死んでしまった女性が幽霊になります。当時も今も出産時の死亡率はすごく高いのです。多くの国の女性の幽霊は、女性たちが経験してきた悲劇を物語っていると思います。だからこそ、私はこの作品をどうしても自分で翻訳したいと思いました。
当時のインドネシアでは、国内外のフェミニスト書籍が読み始められていましたが、その時の主流は怒りに満ちたフェミニスト小説ばかりでした。もちろん怒るべき状況ではありますが、『おばちゃんたち』には怒りと同時にユーモアがあって、「これは何だろう?」と感じました。読者からも、遊び心を持ちながら怒りを表現している点について、すごく長いレビューをもらいました。この作品はカルト的な名作になり得ると思います。

ウランさん
松田:
インドネシアでは、以前マッカサルの国際文学フェスティバルに呼んでいただきました。会場では政府による本の検閲に反対する集会が行われていて、みんなが本を一冊ずつ持って大勢で本を突き上げてコールしていて、非常に感銘を受けました。皆さんが日本の女性作家の作品について多くの質問してくださって、私の方もインドネシアのアユ・ウタミ著『サマン』というフェミニズム作家の作品について教えてもらいました。残念ながらインドネシア語は読めないので英語版を買って、帰国後に日本語版も読みました。インドネシアにいた時のエネルギーがとても心強く忘れがたい思い出でいたので、『おばちゃんたち』がインドネシア語に翻訳されること、そしてウランさんに翻訳していただいて本当に嬉しく思っています。
ヒタ:
松田さんの作品との出会いは10年くらい前のことです。翻訳家のジェフリー・アングルズに『英子の森』をすすめられ、祖母の看病の合間に病院で読みました。それまで読んだことのない世界観でありながら、文章にしかできないような世界が作られていて、とても身近に感じられました。その後、ポルトガル語版『グランタ』誌のために「女が死ぬ」を翻訳しました。難しかったですがとても楽しかったです。その時に松田さんとSNSで連絡を取り合うようになりました。
後日、ブラジルの出版社から『おばちゃんたち』の翻訳の依頼があったとき、「作家さんが、翻訳はヒタさんにお願いしたいと言っています」とあり、メールを何度も読み返すほど嬉しかったです。『おばちゃんたち』は以前から翻訳したいと思っていた作品です。また、現代のブラジルの読者に受け入れられると思いました。現在はフェミニズム作品が注目されていますし、この作品には少しホラーの要素もある。日本の伝統的な物語に基づいているところも新鮮です。ずっと苦労していた女性たちが、この物語の中で解放されていくことも魅力の一つです。ユーモアもあって、日本の知られざる世界や物語の要素がたくさん含まれていることが人気の理由です。
ただ一方で、私はこの作品をブラジルの出版社に何度も紹介していましたが、出版社が興味を持ったのは英訳が出版されてからでした。やはり欧米の影響はいまだにとても強いです。

ヒタさん
由尾:
イギリス人翻訳家のポリー・バートンさんが訳した『おばちゃんたちのいるところ』(英題:Where the Wild Ladies Are)は、米国の独立系出版社から刊行された本に贈られるファイアークラッカー賞や世界幻想文学大賞など多くの賞を受賞して、英米でも大ヒットになった作品ですね。
松田:
ヒタさんはまず「女が死ぬ」をポルトガル語へ翻訳してくださいました。その後、『おばちゃんたち』がポルトガル語に翻訳出版されることになったときに、私から翻訳はヒタさんにとお伝えしたのですが、出版社の方も同じ考えだったので嬉しかったです。面白いと思ったのは、スペイン語翻訳家であるフリアナ・ブリティカ・アルサテさんも、ヒタさんも、英語翻訳家のポリーさんと友達なのです。翻訳にあたっては、最初は作家である私に「質問します」と言ってくださるのですが、実際にはそのネットワークの中で解決するということも多かったようで、その異なる言語の翻訳家たちの輪がとても面白いと思いました。本当に嬉しいです。

(左から)ミーンさん、ウランさん、ヒタさん
松田青子さんの作品を翻訳する過程
由尾:
『おばちゃんたちのいるところ』には色々なタイプの幽霊が出てきて、それぞれの国で「幽霊」の持つ意味などを伺えて面白かったです。それでは、今度は翻訳について、面白かったエピソードや問題点など、翻訳する過程について一言ずつお話しいただけますか。
ヒタ:
「ひなちゃん」(第3話)で一番気になったのはオノマトペです。日本語の「ボロボロ」や「ドロドロ」はポルトガル語にすると消えてしまうので、自分なりに目立つような言葉を使いました。完全には再現できないので、ちょっと悔しいです。でももしもう一度翻訳するなら、もうちょっとそこで挑戦するのかなと思っています。それから、「ひなちゃん」は丁寧で古い日本語を使っていますが、ポルトガル語にはそれに対応する話し方がないので、昔の文学作品を参考に、少し古めかしい丁寧な話し方にしてみました。
ミーン:
私は「みがきをかける」(第1話)を読んだとき、関西弁をなくしてしまうのは嫌だと思いました。編集者に相談したら、タイ南部の人たちの気質が関西の人に近いのではないかということになり、タイ南部の方言を使うことにしました。方言と雰囲気、キャラクターの話し方、会話の言葉を特に気にしていました。読者からのリアクションはさまざまでしたが、多くの人が「面白い」、「あ、こういうキャラクターなんだ」と言ってくれましたね。
松田:
ぴったりハマる方言があるときはそうしていただくという判断が最高だと思います。無理なときは諦める、いけるときはいけるということがいいですよね。タイに行ったときにチュラロンコン大学で講演させていただいたのですが、そのとき大学の教授の方々がミーンさんの翻訳は素晴らしく、ものすごく頑張っていたと本当に褒めていらっしゃいました。

(左から)由尾先生、松田さん
ウラン:
私は主人公にはジャカルタの中でも裕福な地域である南ジャカルタの若者が使う英語まじりの話し方を、「おばちゃん」には標準語に近い、昔から使われてきた言葉遣いを使いました。翻訳に英語を混ぜることで批判もあるかもしれないと思いましたが、それによって関西弁と東京弁の関係性をインドネシア語の中で作ることができると考えたからです。読者からは面白いというコメントを多くもらいましたが、それは大事なことなので嬉しかったです。
また翻訳している途中で気づいたのは、翻訳によって作品が「私のバージョンのようなもの」になるということでした。私は西インドネシアの首都・ジャカルタ出身で、出版社もジャカルタにありますが、もし東インドネシアのマカッサルで翻訳されていたら、きっと彼らの方言が使われたはずだし、そちらの読者にはその方が自然だと思います。つまり、自分が首都の中心で生まれ育った人間として翻訳しているということを受け入れなければならないですし、もしそのことを批判されるとしたら、その声に耳を傾けるつもりです。
松田:
翻訳は本当にしんどく、正解もないものです。私も翻訳をしますが、私の作品を翻訳していただくときにいつも思っているのは、変えていいということです。文化も言語も違うので、原文にこだわりすぎることで損なわれるものがあると思います。小説は読んでもらわないといけないものです。翻訳される国できちんとわかりやすく、翻訳家の皆さんが模索しながら伝わる形に変えていく、その過程に私は興味があります。翻訳家の方々が質問してくださる中で、この国の文化の中ではこれが成立しないとか、これは無理だということを知ることも作家として面白いところです。ですので、変えていいと思っています。そうした一つひとつの過程を愛しているので、その国で本が出るということのその過程を慈しみたいと思います。



