東南アジアで翻訳を生きる:
日本文学の翻訳家たちと語る生活・読者・未来(前編)
JF(国際交流基金)では、2025年11月、インドネシア、タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマーの5か国から、日本文学の翻訳家5名・編集者4名を招へいしました。
招へい事業についてはこちらから。
2025年11月22日(土)、プログラムの一環として、「東南アジアで翻訳を生きる」をテーマに、5人の翻訳家たちによる座談会を行いました。
登壇者
・アンドリー・セティアワンさん(インドネシア)
・アスリ・プラティウィ・ウランダリさん(インドネシア)
(通称ウランさん)
・モハマド・バシル・ハズマン・ビン・バハロムさん(マレーシア)
・ゲーワリン・リキットウィッタヤーウットさん(タイ)
(通称ミーンさん)
・ルオン・ヴィエット・ズンさん(ベトナム)
モデレーターに福冨渉さん(タイ文学研究者、タイ語翻訳家)を迎え、翻訳家としてのキャリアの歩みや仕事と生活の両立、各国における日本文学翻訳の現状や出版トレンドについて語り合いました。東南アジアの翻訳家たちは、どのように翻訳の世界へ足を踏み入れ、どのように活動を続けているのでしょうか。前編をレポートします。
後編はこちらから
東中野の書店 platform3にて
翻訳家としての一歩をどう踏み出したか
福冨:
皆さんは日本語の文学作品をそれぞれの言語に翻訳されていますが、私は普段、タイ語の文学作品を日本語に翻訳しています。今日は日本と東南アジアの文学や、その翻訳、文化を通じた交流について皆さんとお話したいと思います。
皆さんの国における翻訳家という仕事のあり方、日本語の翻訳家がどうやって生活していくのか、そもそも翻訳家の仕事で稼いでいけるのか、ということについてもきちんとお話ししたいです。実は日本で東南アジアの言語を日本語に翻訳することで生活している人はほとんどいません。そのため次世代が育てられない、次世代のためのビジョンが提示できない、という問題があります。今日は、翻訳という仕事をいかに継承するのかという点についても、踏み込んで皆さんとお話ししたいと思います。
最初はお一人ずつ自己紹介をいただき、今の仕事について教えてください。

東中野の書店 platform3にて
アンドリー:
私は日本の大学でITの勉強をしていたときに日本語を学びました。今は妹と出版社を経営しつつ、編集と翻訳の両方に携わっています。「どう稼いでいるか」という点では、出版社がありますので恵まれています。編集者として本づくりに関わるだけでなく、出版社を経営することで生活できています。自分が翻訳した本を自社で出すこともありますが、別の出版社から出すこともあります。
ウラン:
私はインドネシア大学の日本語学科で日本語を勉強しました。2016年から1年間、京都に留学し、大学を卒業してからはインドネシアにある日本企業で通訳として働きました。子どもの頃から英語の歌詞などをインドネシア語に翻訳するのが趣味だったこともあり、会社で通訳の仕事をしながらも、いつか文学や小説を翻訳したいと思っていました。初めて翻訳した作品は、太宰治著『人間失格』です。インスタグラムで、アンドリーさんが日本の近代文学の翻訳家を探しており、友達が私にシェアしました。その時、実は既に少しずつ『人間失格』を翻訳していたので、私から連絡しました。アンドリーさんとはそれ以来の知り合いです。
ミーン:
日本語の勉強は、高校2年のときに独学で始めました。大学では日本語学科に入り、大学2年生の頃から、当時タイで人気があった日本のファッション雑誌などを翻訳していました。卒業後は新聞記者となり、エンタメ系の映画、舞台、コンサートと文学業界を担当し、3年間働きました。その後、友達が短編映画やドキュメンタリーを作っていた縁で、新聞記者を辞めて、台本を書くなど、クリエイティブ・アシスタントのような仕事をしていました。ところがコロナ禍で撮影ができなくなり、時間ができたので、以前からやりたいと思っていた翻訳に本格的に取り組むことにしました。日本の小説を一部翻訳して、タイの出版社に持ち込む、ということを始めました。
ズン:
私は本業としては日本語・ベトナム語の通訳をしていて、趣味として日本の小説の翻訳をしています。趣味といいながらも、かなりの時間と労力を費やしています。ハノイ外国語大学の日本語学科で学び、3年生のときに大阪外国語大学に約1年留学しました。その後、母校の日本語の先生になりましたが、それだけでは生活できないので辞め、フリーランスの通訳として活動するようになりました。日本語の翻訳を始めたのは、大学時代に、のちに妻となる恋人が中国に留学したときです。ほぼ毎週手紙を書いており、川端康成の作品の翻訳を手紙の中に書いていました。卒業後に結婚し、妻は2005年にできた出版社に中国語の編集者として入社しました。その会社が日本の小説の版権を大量に買い取って出版することになり、私が翻訳を担当することになりました。最初の依頼は吉本ばなな著『N・P』で、次に『キッチン』を翻訳するなど、これまで20冊ぐらい翻訳しています。よく気分転換にカフェで翻訳をしますが、翻訳の原稿料はコーヒー代くらいにしかならない。かなり辛い現実です。
ハズマン:
私は早稲田大学で博士課程の研究をしながら、日本語の文芸翻訳をしています。日本語を勉強し始めたのは中学校1年生のとき。マレーシア政府の教育施設で、マレー語と英語、アラビア語、日本語を勉強しました。日本語の先生がいつも授業で夏目漱石の『こころ』、『門』や、紫式部の『源氏物語』などの文学作品を紹介してくれたので、私の文学への興味が膨らみました。大学では経済学を専攻しながら中国語を勉強しました。そして哲学の修士課程にいたとき、もう一度日本語を勉強したいと思うようになりました。初めて日本に来たのは2018年、国際交流基金「東南アジア、ムスリム青年との対話(Talk with Muslims)」というプログラムで招かれたからです。日本の伝統的な文化や宗教、多様性の問題について知ることができただけでなく、日本の研究者たちと交流できたことで、日本への興味が深まりました。そして神保町で川端康成の短編全集の古本を買ってしまいました(笑)。それを読み、『五拾銭銀貨』という短編小説を翻訳したいと思ったのが、翻訳を始めたきっかけです。『五拾銭銀貨』の翻訳は、マレーシアの文芸雑誌で出版されました。

仕事の中で翻訳が占める割合は?
福冨:
皆さんは文芸翻訳の仕事だけをしているわけではないということですが、自分の仕事の中でかける労力としては、どのお仕事にどの程度の割合で携わっていますか。
アンドリー:
編集が70%、翻訳が20%、通訳5%、残りの5%は他の仕事です。
ウラン:
今は拠点をジャカルタからオーストラリアに移して別の仕事もしているので、翻訳の時間はほとんどありません。でも、時間があるときは40%くらいを翻訳に割いています。今はアンソロジーも編集しており、そちらにも時間を割いています。
ミーン:
私はフリーランスで、翻訳、通訳、そしてイベントのコーディネーターの仕事をしています。イベントの仕事があるときは60%はイベントの仕事です。制作の打ち合せが多く、翻訳の仕事は夜になってから。翻訳は40%です。イベントの仕事がないときは、1日中翻訳の仕事をしています。自分としてはこのままの割合を保ちたいと思っています。
ズン:
基本的には通訳の仕事が忙しく、日中は通訳の仕事をして、帰宅して夕食後の1、2時間を使って翻訳の仕事をしています。翻訳は規律が必要な仕事だと思います。しばらく翻訳を中断すると、感覚を忘れてしまい、取り戻すのが大変なので、少しずつでも続けることが大切です。パソコンがないときも手書きで翻訳し、あとでパソコンに入力するという習慣をつけるようにしています。最近翻訳版を刊行した村上春樹著『街と、その不確かな壁』は、夕食後の時間だけでなく、仕事の合間も使い、半年くらいかけて翻訳しました。
ハズマン:
今は博士論文を書いているので、翻訳する時間はあまりありません。去年出版された八木沢里志著『森崎書店の日々』の翻訳では、1日に3時間くらいは翻訳すると決めていました。
福冨:
皆さん、隙間時間を見つけて文芸作品の翻訳をする、というところは共通していますね。

各国のトレンドと翻訳出版業界
福冨:
皆さんがこれまでに翻訳された小説にもいろいろなジャンルがありますが、そもそも翻訳する作品は誰が決めているのでしょうか? 翻訳家側からの提案か、あるいは出版社からの依頼でしょうか。
アンドリー:
自分の出版社では、私と妹が関心のある作品を出版します。ただ最近、インドネシアでは、さまざまな出版社が日本文学を扱っているので、全体のバランスを見たうえで、マーケティングを考える必要が出てきました。この1、2年は、インドネシアで日本のミステリーが多く翻訳されている印象があります。その次にヒーリング・フィクションがあります。猫や書店などが登場する作品ですね。
ウラン:
日本文学の読者はインドネシアでは少数ですが、その少数の中でも、今は女性作家の小説を読んでいる方が多いと思います。英語圏でどのような日本文学が翻訳されているかという点も影響しているでしょう。一時的なトレンドなのかどうかは分かりませんが、個人的にも、もっと女性作家の作品を翻訳したいし、自分で研究して、優れた作品を見つけたいですね。断るのが苦手という性格もあり、私がこれまで手掛けた作品は、依頼されて翻訳したものが多かったです。ただ、田村俊子著『木乃伊の口紅』は、このプログラムで出会った由尾瞳先生(早稲田大学 文学学術院 教授)の論文で知ったことがきっかけで翻訳しました。
ミーン:
タイの大手の出版社は、翻訳家を募集する時に出版社のSNSに載せます。連絡を取り、テストに合格すると、出版社から「この3冊のうちどれがいいですか」などと聞かれます。最初のうちはどんなジャンルの作品も引き受けていました。何冊か出して実績ができると、「この作品を翻訳してください」といったオファーが来るようになります。最近では出版社から、「日本のどの作品が面白いですか」と聞かれるようにもなりました。
福冨:
日本では翻訳会社やエージェンシーがあって、フリーランスの人が登録すると翻訳の仕事が来ます。それをタイでは出版社が行っているということですね。
ミーン:
そうです。私が始めた頃、タイでは鈴木光司著『リング』などのホラーが流行っており、その後ミステリー、推理小説の人気が何年も続き、この4、5年間はヒーリング・フィクションが人気です。最近ではフェミニストやLGBTQなどのジャンルも増えています。大手がヒーリング・フィクションなどを中心に出版する一方で、独自の路線で出版する小さな出版社も増えています。

ズン:
私は皆さんと違って、決まった出版社のみと仕事をしています。その出版社は編集に大変こだわりがあり、原文チェックに加えて、ベトナム語として自然な翻訳になっているかどうかを第三者の目できちんと判断してくれます。自分が好きな作品については直接出版社に持ちかけて、版権を取得してもらう場合もありますし、出版社が版権を取得した本から選ぶこともあります。いろんなジャンル、いろんな文体に挑戦したいと思っているので、女性作家であろうと古い作家であろうと現代作家であろうと、できるだけ幅広く翻訳しようと思っています。
福冨:
他の出版社と仕事をすることはないのですか?
ズン:
私は、編集者と緊密にやりとりしながら作品を翻訳したいので、他の出版社からの依頼は断ることが多かったです。特に原文とのチェックはとても重要です。長い小説では必ずしも集中が続かず、他者の目によって気づかされることも多くあります。また、私は日本語が分かるので、日本語をそのまま翻訳してベトナム語の訳文をつくりあげたつもりになってしまいますが、日本語を理解しないベトナム人にとっては不自然なベトナム語になっていて意味が分からない、ということもあります。ですから、自然なベトナム語になっているかというチェックも重要です。編集者から指摘されて、また異なる案を出す、というやりとりを繰り返します。
福冨:
ハズマンさん、マレーシアには中国語、英語、マレー語の世界がそれぞれあると思いますが、マレー語の読者の中で日本文学のトレンドというのはありますか?
ハズマン:
マレー語の読者たちは日本語から英語に翻訳された作品の影響を受けるので、そこを意識しながら、マレー語に翻訳する作品を探していると思います。20~30年前に、マレーシア政府の研究機関が日本の文芸作品をマレー語に翻訳したときには、主に大学の学生や先生、マレー文学の専門家たちなど限られた人だけが読んでいました。夏目漱石、川端康成や谷崎潤一郎、太宰治などがマレー語に翻訳されましたが、当時はまだ一般には日本文学はあまり知られていなかったと思います。マレーシアでは大学卒業後の就職難という事情もあり、マレーシアの若者たちの間で今後ヒーリング・フィクションを求める読者が増えてくるのではないかと思います。
(後編へ続く)


